不用品回収を群馬の伊勢崎で行っているふれんど251はあなたの想いに「期待以上」で応えます

ふれんど3つのこだわり ご依頼には全力で期待以上でお答えします

ふれんど251では、お客さま一人ひとりにご満足いただけるプランをご提供する
ため、見積り、作業計画、作業前の説明に特に力を注いでいます。
見積りは可能な限り現地で行いますが、不可能の場合は電話にて聞き取りを行います
ので、ご了承ください。

お引っ越し手伝いや、
お部屋のお片付けなど、
大きなご依頼の場合、
一度お客様のもとに伺い
現場を実際に確かめて
事前お見積りいたします。

廃棄するごみ・再利用に
まわすごみをあらかじめ
明確にしておくことで、
無駄を省き、コストを
少しでも安くする工夫を
いたします。

作業料金の詳細、実際の
作業手順について丁寧に
説明をさせていただき、
必ずお客様に了承を得た
上での作業開始として
おります。

お客様それぞれに、お困りの事情がちがうのは、ごく当たり前のことです。
ふれんど251では、ご要望に可能な限り沿った対応を心がけています。
ごみ屋敷のお掃除など、大掛かりなご依頼には、トラック最大5台同時出動での迅速対応、
お庭のお手入れには、専門技術を持ったスタッフによる作業で対応いたします。
熟練の技術が必要とされる、吊るし切りでの伐採なども可能です。

ふれんど251は、伊勢崎市を中心として、群馬県一円のみに活動圏を絞っています。

「一刻も早く何とかして欲しい!」
そんなお客さまのお声に少しでも応えるために、
活動圏を群馬に絞り、お客様に全力で向き合う決断をいたしました。

群馬の歳時記

野田 原澤氏の先祖 原澤将鑑

元徳二年(一三三〇年)頃新田の庄、新田義貞は生まれ故郷里見郷を訪れた折、坂東霊場一五番白岩観音を詣で、そのあと白岩から遠くない水沢観音を参詣し、建久の兵火によって焼失した水沢観音を再建したときの寺社奉行澤浦右近(梶原一族)の館を訪れ、右近の一人娘小泉に心うばわれ、義貞は館へ     帰ってから右近に請い小泉を館に招いて側室とした。


その翌年元弘元年兄義興が生まれ、その後元弘三年新田義貞は、後醍醐天皇より綸旨をうけ生品神社で旗揚げをして、鎌倉へ出陣した。すでに懐妊してた小泉は野田村へ帰り徳正丸、のちの原澤将鑑を生んだ。兄義興は義貞正室に伴って京へのぼり、兄弟は別れ別れになったと思われます。


延元三年(一三三八年)義貞は越前藤島にて戦死後、徳正丸は元服して清和源氏の源のつくりを取り澤浦氏の澤を合わせ原澤将鑑道長と称した。今も水沢寺は原澤家の苗字懸け観音として伝えられております。その後兄義興、義宗戦死あと澤浦一族は、足利一色の野田村をあとに相模の国へ引き払い将鑑は永遠の別れとなったわけであります一人将鑑は父の生家里見家に身を寄せたり一時は里見郷に程近い一五沢に居をかまへ鍛冶職をしながら身を隠していたとおもわれます。今も鍛冶屋敷という地名もあるそうです。なお足利氏の追及きびしく名を岩松法印とあらため(岩松新田は足利氏と新田本家と中間的な一族)白岩観音保護のもと修験者として身を隠し、信州諏訪一族をおとずれその後 越後長尾家へと一人旅にでたようです。


その間南朝方の令旨を受けた記録もあり、越後はすでに上杉氏の代になり上杉、長尾家も快く思われず三国峠を越え上州の地に入り、新治村(現みなかみ町)新巻の庄で里見郷より家族を呼び寄せ、また一時は大室山松原に居を移し永住をもとめたとおもわれます。


その後晩年は生まれ故郷の野田村を思い赤谷川を渡り水沢山のふもと有馬郷にて、足利幕下に見つかり右手を切られ左の手で奮戦したが捕らえられその地で終焉をむかえたと伝わっております。将鑑は守り本尊が不動明王であったので左剣不動様として又、小倉佐藤一族は野田村の見える岡に墓と五輪の塔を建てたといわれております。今も地元の方々は毎年春の行事には五輪様、左不動様として祭っております。


その後野田村原澤は二百年空白の時を経て永禄元年(一五五八年~)徳川の世になり高崎和田家中の手引きにより野田村に失地回復したと伝えられております。将鑑は子但馬のあと孫に志摩、内匠をへて新左衛門と続き、原澤和泉(源義繁と称す)が将鑑死後七代をもって、野田村原澤医家の始祖であります。


また野田神影流開祖、原澤左衛門(上泉伊勢守信綱の娘婿)もこの時代で高崎城主安藤対馬守より 南蛮渡来のお皿を拝領しており代々左衛門と名乗っておりました。また医家のほうは和泉から九代目原澤文仲が初代で代々文仲を名乗って、紀州の華岡隋軒を訪れさらに長崎に足を延ばし和蘭医師ヨアンロイスの教えを受けた。文仲の実子八四郎(二代目文仲)は号復軒と名乗り高崎藩大河内氏の御典医としてまた幕末の高野長英とも親交厚く長英この地を訪れ逗留した記録があります。

 

原澤新貞氏 資料抜粋


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投稿日2015.01.08

船津伝次平

老農とは農業技術を身に付けた農業指導者で明治の三老農は群馬の船津伝次平・奈良県の中村直三・香川県の奈良専二で上毛かるたに 『老農 船津伝次平』が取り上げられており群馬県では知名度が高い人です。現・前橋市富士見の寺小屋を開く農家に生まれた伝次平は農作業を手伝う時の観察で草の成長の違いは大きな石が太陽熱で暖められて成長に差が出る事に気づきとあります。この事は石垣イチゴ栽培に利用されている栽培技術であったり、赤城山に30万本の植林をして保水力を高めて災害から地域を守ったりして地域住民から尊敬されました。農民伝次平は大人になってから東大農学部の教授になって日本農業の発展に尽くしております。お墓には正五位が刻まれており、正五位とは大学において名誉教授の称号を受けた者に与えられる官位で、お墓と銅像が前橋市富士見にあります。


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          お墓の印象からは質素倹約家のつつましい生活をした人かなと思われました。


      グルメ情報です。

近くに素材にこだわつたパン屋さんのカレーパン・ベーコンサンド・フランスパンのフレンチトーストがお勧めです。
                             カレーパン:145円
                             ベーコンサンド:330円
                             フレンチトースト:160円
                    麦工房 独標 027-289-8039 前橋市富士見町原之郷275-2

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投稿日2014.07.29

桃井館の欄間 

桃井館の歴史的背景は八幡太郎(源の義家)にルーツがある足利二郎(足利義助)の子足利四郎(桃井義胤)が上野国桃井荘に赴任したことから始まり榛名山東麓に源氏の渋川・桃井・里見・山名の四家があって子孫・桃井直常の墓(五輪塔)が群馬県吉岡町字南下にあり昔の武将であったと記されている。その館は七百数十年前に南下の元八幡の高台に桃井八郎によって建立され、その後新田義包の子孫が入居したが新田氏の滅亡によって豪族飯野加賀守が書院に移築した、その後地区の大尽森田宗家が買い取って新宅の森田文字之助に書院として与えた、現在の桃井館は移築のたびに補修修復されていて大部分が昔のまま現存している貴重な文化遺産で特に部屋の欄間のすかし彫作りの『ぶどう・りす』の精彩な作りは特に目を見張る、この様な歴史的遺物は群馬県・吉岡町の宝となりうるので富岡のユネスコ遺産になった富岡製糸場と併せて尋ねるのも一計とおもわれる。また伊香保温泉から車で10分以内と交通の便もすごく良い。

 欄間透かし彫り

     表側


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     裏側

 

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看板 桃井館(とうせいかん)             現在の桃井館


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南北朝時代の桃井氏は南朝に属し全国を転戦した後、一部の人が桃井に戻り姓を湯浅氏を名乗ったとあります。

 

投稿日2014.05.16

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